2025/05/08 16:16


パキスタンのラホール博物館の至宝・ガンダーラの苦行像は、出家をされたお釈迦様がガヤの町を流れるネーランジャラー河(尼蓮禅河)の上流にある地にて五年間の修行の凄まじさを現した最高の芸術品です。その姿を模した石像は特にお釈迦様の成道の地・ブッダガヤでは土産物として至る所で売られている様を容易に見ることが出来ます。

 成道前の苦行の場所と言われるウルベーラの林はお悟りの場所から東へ三キロメートル、尼蓮禅河を渡ったヤシ林の中にあります。現在はその地はヒンズー教寺院で、寺院の南壁に付随した一角に表面を金泊で施された苦行仏が祀られています。大唐西域記には『ムチャリンダ竜王池の東の林中の精舎に、仏の瘦せ衰えた姿の像がある。その傍には散策された場所があり、南と北にピッパラ樹(菩提樹)がある。菩薩が六年間苦行された所である。最後は日に一胡麻一麦を食するのみであった』とあります。実際、経典には、「身に油を塗って塵を浴び、火であぶる苦行」、「髭や髪を手で引き抜く苦行」、「茨の床に臥す苦行」、「呼吸を止める」、「不眠」と記載されています。現代でもヒンズー教の多くの行者(サドゥー)がヒマラヤ山中で涅槃を得るために苦行をしています。

 

 今年は百四十四年に一度の大祭(マハ・クンブメーラ)で一月から六週間の間に、数万のサドゥーと四億人以上のヒンズー教徒がプラヤグラージのガンジス河で沐浴しました。私がこの目で見たサドゥーは「一生爪を伸ばして切らない」、「何を話しかけても決して答えず、一生喋らないで過ごす」、「目を見開いてじっと太陽を見続ける」、「裸で生活する」、「片手をあげたまま絶対に下げない」、「生け花の剣山のような尖った方に足を乗せた下駄をはいて歩く」などなどです。この寺ではインドの宗教間の格差を確認できます。写真はヒンズー教では「お釈迦さまはヒンズーの神の一人」とすることもありますが、このバラモン(僧侶)は仏教を同格とみていない、決して敷地内に仏像を祀ることを許さないのが現実です。

 

 近くには苦行を止めたお釈迦さまが村長の娘、スジャータから乳粥を受けて食された処、乳粥は現代のインドでも栄養食として、またお祭りの時の定番食として供されています。また、今のミャンマーから来た二人の商人が麨蜜を献じた処、ミャンマー第一のシュエダゴン・パゴタは二商人がお釈迦様から頂いた毛髪を収めた舎利塔と言われています。この地に住んでいた事火外道のウルベーラ・カーシャパの三兄弟とその千人の門人を済度された処などがあります。

 乳粥の供養を受けられたお釈迦さまは、この地から北東に直線で七キロメートル、ファルグ河を渡り、登られた前正覚山の洞窟で悟りを開こうと思われました。駐車場から緩やかな坂道と階段を登るとチベットの寺院があります。十五分弱の行程です。その奥に三畳ほどの洞穴、石室がありここに籠られました。しかしこの地は、お釈迦様のそのお悟りの力に耐えることが出来ないことを知り、その影のみを留めて、大精堂の金剛宝座のある菩提樹の下に去られました。

 前正覚山から正面に象の頭と鼻の形をした山、象頭山を見ることが出来ます。この地域では一番高い山で、やはりお釈迦様ゆかりの地です。カーシャパの三兄弟とその千人のお弟子を引き連れて、ビンビサーラ王との約束を果たすために王舎城に向かう前にこの山に登り、ひと晩滞在して、遠くに王舎城の町の火が燃えている様を眺め、火の説法、山上の説法と言われる説法をされた処です。


(株)トラベルサライ 中村義博



スジャータ乳粥供養


ウルベーラ林 苦行仏



ウルベーラ林より前正覚山