2025/03/11 16:32


お釈迦様がお生まれになったルンビニで一八九六年に発掘された石柱は、紀元前三世紀のマウリヤ朝のアショカ王が建立し、王の詔勅が刻まれています。『神々に愛せられた温容ある王(アショカ王)は、即位二十年後に、この地に巡幸参拝された。ここは仏陀釈迦牟尼の生誕地であるが故に、石で馬像を作り石柱を建立させた。ルンビニ村は租税を免じ、生産物の八分の一のみ納める』。まさにこの地で、お釈迦様が神ではなく、人間とて誕生された証です。現在はネパール(連邦民主共和制)にあります。ルンビニは標高百メートルのタライ盆にあり、インドとの国境近くです。インド人との混血も多く住んでいます。ネパールのカピラ城・テラウラコットから東へ約三十二キロメートル。インドから陸路で行くと、国境の町から西へ二十一キロメートル。ネパールの首都のカトマンズから空路約三十分で近郊のバイラワ空港へ、車で二十分の地です。

 マヤ夫人はお産のためにお里であるコーリヤ国のデーバダハ城(ルンビニから四十二キロメートル東北東)へ帰る途中に、この地で突然に産気付き、マヤ夫人がアソカ樹(無憂樹)の枝を手折ろうとした際に釈尊はお生まれになり、直ちに、自らの力で七歩あゆみ『天上天下、唯我独尊』と唱えられたと言われます。因みにアソカの花は北インドでは二月の後半から咲き始めます。現在ルンビニ遺跡は一九九七年に世界遺産に登録されました。遺跡に建つマヤ堂内の表面がはぎとられた誕生の場面を表した石像は紀元後七、八世紀のものと言われています。 北伝仏教説によれば紀元前五六六年四月八日、お釈迦様は、釈迦族の王・浄飯王・スッドーダナと妃マヤの子として生まれ、ゴータマ・シッダルタ(肥えた牡牛)と命名されました。マヤ夫人がお釈迦様をお産みになることの伝説も多数あり、その一つが、インドの伝承では、お釈迦様はマヤ夫人の右わき腹からお生まれになりました。古来インドにはカーストという身分制度がありました。人間の誕生に関する考えは、カーストにより象徴的にあらわされます。宗教を司るバラモン階級は頭の先から、王侯貴族のクシャトリヤ階級、釈迦族の王子は上半身から、商工人階級のヴァイシャは下半身から、スードラ・労働者階級は足のつま先から生まれると表現されます。

 当時のコーリヤ国の南にラーマ・グラーマ仏舎利塔(ルンビニから四十五キロメートル東)があります。お釈迦様のご遺体は焼かれ、当時お釈迦様を信仰された国々や種族などで八つに分骨され、それぞれが持ち帰り供養の塔を建てお骨を収めました。コーリヤ国も持ち帰りこの舎利塔を建てました。玄奘三蔵の大唐西域記の『城の東南に八分骨の一つの舎利塔がある。アショカ王が舎利塔を分割して建てようとしたが、竜王が開くことを拒んだ。』が写真の塚で、この舎利塔以外の七つの舎利塔は後にアショカ王によって開かれ、お骨は王によりお釈迦様ゆかりの各地に八万四千に分骨し仏塔が建てられましたが、ラーマ・グラーマの仏舎利塔のみが唯一開かれず、二六〇〇年前のままと言われています。現在、私たちはお釈迦様が歩かれた様々な軌跡を広大なインドの地で辿り、仏教遺跡として特定し、巡拝出来るのはこのラーマ・グラーマの仏塔を始めとする八万四千の舎利塔などが確かな道しるべとして、残っているからに他なりません。

株式会社トラベルサライ 中村義博